結果が出た!

2005年8月3日 日常
試験発表の日、私は発表がこんなに早いとは知らずにはるか前に
友人の所へ遊びに大阪へ行く約束をしていた。
友人宅で自分で確認するから、と親には言ったのだが、どうやら
待ちきれなかったようで、親がホームページで結果を確認した。

そしてかかってきた電話は、「受かってたわよ!」という母の
絶叫だった。

友人宅でも確認した。

たった2名。

その中に私はいた。

信じられなかった。

その後、大学から合格通知が来て、本当に受かったんだと実感した。

嬉しい。素直に嬉しい。絶対無理だと思っていたから。
でも、必死で努力した。努力が報われることもあるんだと、思った。

本当によかった。
国立だし、学費の面でも私立よりは少ない負担ですむ。

来年からは2年次編入で、5年間の大学生活を送ることになる。
とりたい資格を取るためには長い道のりだが頑張るしかないだろう。

去年の今頃は、私は精神病棟に入院していた。
そして、病棟で誕生日を迎えた。
哀しかった。

今年は、自分で自分への最高のプレゼントを贈ることができた。
一年で、人間、変われるんだ、ってそう思った。

頑張るしかない。

最後の面接

2005年7月27日 日常
月曜に、第一志望の大学の最終面接に挑んできた。
一次試験を突破したのは自分を入れて6人。
このうち、1人か2人しか通らない厳しい現実。

面接は無難にこなすことができた。
おおきな失敗はしなかったはずだ。

だから、後は大学がどう考えるか次第だ。
こればかりはどうしようもない。

ここまできたからには受かりたい。
でも、わからない。

結果発表は29日だけど、それまでは蛇の生殺し状態です。

どうか、良い結果がでますように・・・

やった!

2005年7月17日 日常
二つの大学の試験を終え、しばらく鬱状態に入っていたけれども
13日と15日についに発表があった。
結果は、なんと驚いたことにダブル合格!

最初が第二志望の大学で、こっちは完全にあきらめていたのだけ
ど、受かっていてびっくり。
で、第一志望の大学も、どうか受かってますようにと、必死で
願っていたら、願いはかなった。

合格者だけに郵送で通知する、ということで、15日の金曜日か
らずっと郵便を待っていたのだけれど、土曜になっても来ないの
であきらめていた。
そうしたら、今朝速達で合格通知が届いていた。
地獄と天国とはこのことか。

信じられない思いで一杯だ。

ただ、まだこの後面接試験があるから、ここからまた、戦いが始
まる。この後は、大学と自分との相性の問題になるだろう。

3ヶ月に渡って、体壊しながら必死でやってきた努力が報われた
思いだ。
もう、悔いはない。

面接で落ちても、あきらめがつく。

後は面接を頑張るのみ、である。

とにかく、一安心。
前半戦の試験が全部終わった。
結果はわからない。
やれるだけのことはした。
後は神のみぞ知る、である。せめて三次の面接までたどりつき
たいものである。
でも現実は厳しかった。

試験って、本当に、水物ですね。

山はっていた所がことごとく、崩壊、全然やっていなかった所
が出てきて、パニックおこしたり。
全く知らない、英単語が出てきて、どうにも訳すことができな
くて、めちゃくちゃな解答を書いてしまった後悔。

考えれば、きりがないけど、もう、終わってしまったこと。

くやんでも仕方がないので、発表まで考えないようにゆっくり
休みたい。

そう、仕事辞めてから、初めての休みになるかもしれない。

仕事辞めてから即、大学受験体制に入ったから。

今、休んでも何も文句は言われない。

深く、深く、眠りたい。

あと3日

2005年7月4日 日常
試験まであと今日をいれて後3日。一体何ができるのだろう。
本当はもっと必死でやらないといけないのに、体がいうこと
をきいてくれなくて、だるくて食べられなくて、栄養失調状態
でふらふらになって、ベッドに倒れている日が続いている、
こんな状態でまともに試験が受けられるのだろうか。

ストレスとはいえ、本末転倒である。

残り3日はあまり神経質にならずに、なるようになる、という
気持ちで、栄養をできるだけとって、ゆっくりしよう。

まあ、精神的に落ち着かないので、図書館にはいくのだけど。
あそこは落ち着くから。

でも、これで試験がダメでもまだ、2校試験が残っているから
あきらめるのはまだ早い。

さっさと今週の二連続試験を終えて、すっきりしたい。
試験まで後2週間を切って、胃腸は働かないし、眠れないしで
散々な日々を送っているけど、今日はいいことがあった。
第二志望の大学の一次試験の合格通知が届いた。
これで、二次試験が受けられる。
ちょっと嬉しい。もちろん、この後が滅茶苦茶大変なのだけど。

今日も晩ご飯の後、3回吐いた。何時間たっても消化しないで
苦しい。

でも、とりあえず、今日は嬉しいことがあったことで良しとしよう。

また明日から戦いの日々だ。
精神的不安定に追い込まれた試験も、デパスを飲んで、なんとか
やりすごした。もう、結果のことは考えないで、次の勉強をしよう。
試験の日はさすがに、疲れ果て、ビール(その他雑種類というの
がかなしいけれど)を飲んでくたばっていた。

でも、こんな調子で、本番の試験は大丈夫なのだろうか。
試験まで後40日を切ってしまい、これからどれだけ努力すれば
いいのか、わからなくなっている。

でも、やるしかない。

とりあえず、7月の頭までの辛抱だ。

その先のことは、結果が出てから考えよう。

困った

2005年5月28日 日常
明日大事な試験があるというのに、昨日から超無気力状態。
おまけにまた脳みそ収縮頭痛が起き始めた。
大学入試に必要な試験で、こんな調子じゃ、本試験になったら
倒れるのではないかと、不安になり、おもわず、デパスを
飲んで、横になる。

それでも頭痛があまりひどいので、もう、明日の試験の勉強
はあきらめて寝ることにしよう。

もう、なんだか疲れてしまって、ダメだ。
明日はものすごい集中力を要求されるというのに大丈夫だろうか。
なんとか、乗り切りたい。
受験勉強体制に入ってから1ヶ月が過ぎて、すでにもう、疲れが
出ている。図書館へ行ってもすぐ寝てしまうし。
夢のために仕事をやめた(でも鬱のせいでもある)のに、これで
はいけない、と思いつつ、身体は思うように動かない。
最初の試験まで後50日。それしかない。
でも、勉強は進まない。ものすごい脅迫観念に捕われて、ダメだ
った時の自分が恐い。
そういう性格になってしまった自分を恨む。

今日、久しぶりに飲んだ上司は「なるようになる」という気持ち
でいくのがいい、という。そんなことわかってる。
でも、追い詰めないとだめなのが私なのだ。
だから、ビョーキになるんだ。

お金がかかるから、と避けていたカウンセリングに行こうかと
思っている。今の追い詰められた自分をどう処理するか。

とにかく、辛い。

でも乗り越えなくてはいけない。
和寿様へメッセです。
今日、ハローワークに行って、失業給付の手続きをしてきた。

これで晴れて?失業者となった。
一応、就職活動をしないといけないから、面倒ではあるが、
収入の道を断たれた今、たとえ大学受験をしようと、もらえる
ものはもらっておきたい。そのために、ずっと雇用保険払って
きたのだから。(でも90日しか支給されないってのも厳しい
よな〜。ケチ)

こういう経験もいいだろう。ハローワークにはこれからもしば
らくお世話になることだし。
無職生活4日目。表だって変わったことはない。
違うのは会社にいかないこと。
送別会は盛大だったけど、私は記憶を飛ばし、挙げ句店の
トイレをぶち壊して、12万の弁償(;_;)。
無職にいきなりこれは痛い。自業自得だけど。
会社で伝説の女として殿堂入りしてしままった。

1日には健康保険の切り替えと、年金の切り替えの手続きを
した。離職票が来たら、ハローワークだ。
大学受験するんだから、失業手当て対象にはならないのだけど
ずっと雇用保険払ってきたんだから、少しはよこせ、という
気になる。形だけの就職活動をしなくてはならないのが難点だ
けれども、なんとかなるだろう。

今はぼちぼち、勉強を開始している所。
道は遠く、現実は厳しい。
でもやるしかない。
いよいよ明日で最後だ。月、火と個別送別会の連続。上司
には、やはり辞めると言われたのはショックだったと言わ
れた。私は私で、彼に「じゃあ3月一杯で辞めることだね」
って言われてショックを受けていたのだけど。結局、病気
を治すことが最優先だと上司は考えたんだよね。
私の鬱はもう、治っている気がする。ストレスの原因だっ
た安藤とのこともふっきれたし、同じくストレスの原因だ
った仕事そのものから離れるわけだし、これで鬱が良くな
らなかったら、やっていられない。長患いだけはごめんだ。

今日のクリニックはいつもの主治医が急病で倒れたため、
別の先生だった。やはり、違う先生だと、警戒してしまう。
結局、前回と全く同じ処方。変えられるのも恐かったし。
ドクターとの信頼関係というのも重要なんだとつくづく感
じた。

明日は、会の送別会と、有志の送別会の2つがある。20
人以上になると聞いてちょっと嬉しい。何をどう挨拶すれ
ばいいのかな。
少しは考えておこう。
私の進んで来たこの7年間をどう感謝し、伝えればいいか。
別れは潔く、格好よくいきたいものだ。
それができるかどうか・・・。
いずれにしても、本当に明日で最後だ。

業務終了

2005年3月25日 日常
今日が出勤最後の日だった。いつもより早く出勤して、
雑用を片付け、メインの仕事の会報誌の発行作業をする。
いつもより、他のパートさんが手伝ってくれて、無事作
業は終了。いつも独りでやっていたから、手伝ってもら
えたのが嬉しかった。そして、最後だと知っている人達
からは、いろいろ声をかけてもらった。それも嬉しかった。

後は31日の送別会だけだ。正直どれだけの人が来てく
れるのか、ちょっと気にしたりもする。でも、これまで
やってきた私を知っている人ならきっと来てくれる、そ
う信じている。

引き継ぎの書類を作って、上司と打ち合わせをして、い
なくなった後の対策を講じ、あれやこれややって、荷物
を引き上げた。
もう、戻ることはない。
それを実感できるのはいつだろう。
今日はまだそれがよくわかっていない。
仕事を辞めるということの意味を。
あるのは不安だけだ。
そう、私は仕事を辞めた。
これからのこと、ゆっくり考えていこう。
焦らずに。ゆっくり。

そうしないと私の精神はまた壊れて行くから気をつけない
といけないな。

人事異動発令

2005年3月18日 日常
今日、人事異動の発令がLANに出た。
トップに私の名前が・・・。
知らなくて、午後のこのこ出勤してきたら、パートの人に
「辞めちゃうんだってね〜」と言われ、発令が出たことを
知った。
その後、自分の目で何回も確認した。何もトップに持って
こなくてもいいのに。辞める人は他にもいるのに。
落ち着かなくて、仕事も手に着かず、とりあえず事務局長
には挨拶をした。

来週は各部署挨拶回りをしよう。でも、今日は正直辛かった。
辞める、ということを明らかにつきつけられたのだから。
わかっていたとはいえ、動揺は押さえられず、頓服剤を欲し
たけどそれもなく。
苦しい胸をかきまわされていた。

来週1週間。それで、最後のお勤めだ。
今日は眠れるだろうか。
辞意を表明するというのはこんなにも心が震えるものかと
思った。
9日にCR会議の後のゼミに参加して、時間
をとってもらって地方にいるCRに挨拶した。
声が震えていた。
私がしたかったこと。そして、私を救ってくれたKに肩を押
されて言ったこと。「お疲れ様」と言われて心が救われる思
いがした。
その後は、皆が宿泊している施設で飲んだくれて、私はまた
記憶をなくしてしまったが、皆にお礼を言えたのはよかった
と思う。

私の8年間のうち、6年半はRだったのだ。それが
すべてだったと言ってもいい。それだけ、大事な時だった。
そして、地方のチーフと議論を交わした日々が私にとって苦し
かったけど、良かった日々であった。
こうやって、一つ一つ区切りをつけて、退職へ向かって行けれ
ば、心も穏やかに辞めていけるかもしれない。

まだ心はざわついているけど。

とうとう

2005年3月1日 日常
先週の木曜日に、とうとう上司に辞意を表明した。
それからは混乱の日々。具体的なこと、リスキーな道を選
んだ事に対する恐怖などでパニックになった。

土日は、睡眠薬を大量に飲んで廃人していた。
ただ、ただ考えたくなかったから。
でも今日も会社休んで、このままではと思って再度上司と
話しをした。

3月末退職。それが結論。

これからいったいとうなるのだろう。

道を見出せるのは私1人だけ。

そう、私自身だけ。

もう限界か

2005年2月20日 日常
趣味の酒造りから戻る時、会津若松から東京へ近づけば
近づくほど、気分が悪くなっていく自分がいた。
頭から追い出そうとしても、出て行かないこれからのこと。
来週からの仕事。退職のこと。Aのこと。

私は本当に今の状況が嫌なんだとつくづく思った。
家に戻った時は震えがとまらず、幻聴まで聞こえた。
そんなに、嫌なのか。東京の今の生活が。
「退職」その言葉が頭を駆け巡る。

復職してからもうすぐ1年。我慢して、我慢してこらえて
きた1年。
限界なのかもしれない。
この先1年は見えている。また耐える日々。苦悩の日々。
もう、そんな場所にしがみついていなくてもいいではないか。
自分を自由にしてやってもいいのではないか。
そう思いはじめている。

今回、東京に戻ってきた時の自分の身体の悲鳴を聴いた時、
限界だと、思った。

答えを出す時が来ているのかもしれない。
苦しむのはもう、たくさんだ。
無事?3連休が終わった。なんとか平穏に暮らせた。
とはいえ、頭の中はAのことがしょっちゅう出て来て
いたのは確か。
でも今は待ちで行こう。攻めるのはまだ早い。

最近また睡眠薬の効きが悪くなっている。昨日もほとん
ど眠れなかった。一晩中まどろんでいた感じ。だから夕
方、勉強している時に強烈な眠気に襲われ、机に突っ伏
して寝てしまった。まるで受験生のようだ。

でも、あれだけこの3連休は勉強しようと思っていたのに、
やはり怠け癖というのはとれないもので、よほどのことが
ないと集中できないのだとよくわかった。こんな状態で、
社会人入試が受けられるか、本当に不安だ。
やはり、仕事を辞めて勉強に専念した方がいいのか。
結局この自問自答の繰り返しだ。

そしてまた明日から仕事。憂鬱になる。
でも今週は水曜日から利き酒師の実習で福島の蔵元へ行く
から、仕事ではあまり悩まされそうにない。蔵元実習は私
の趣味のようなものだ。酒造りを楽しんでこよう、と思え
ば明日からの仕事もそう嫌にはならない。

今日は眠れないとまたしんどいので、睡眠薬をジンで流し
込んで寝ることにする。これもまたよくないのは百も承知。

さて、また明日から出陣だ。

ひとときの幸福

2005年2月6日 日常
逃げるかのように、金曜日を休みして元同僚(♂)と2人
で戸隠へ行ってきた。入社以来、定宿にしている民宿があ
って、そこのオーナーの人柄に惹かれてくるリピーターが
多い。とにかく、そこへ行くと時間の流れが変わるのだ。
ゆっくりした落ち着いた時が過ごせる。

今回は、歩くスキーをはいて、戸隠神社の奥へ分け入って
いった。2mはある雪の上を縦横無尽に歩き回る。
真っ白な雪原にスキーの板で刻みを入れて行く。
昼は、戸隠の蕎麦と酒をたしなむ。ゆるゆると時間がすぎ
ていく。
夜は温泉に入って、オーナーと一緒に行きつけの山菜料理
屋へ行って、また酒を飲む。
ただ、それだけなのだけど、何も考えずに楽しんで、美味
しい物を食べて飲むということが心にゆとりを生み出す。
後は宿で2人でいろいろ話しをした。

相手の同僚は男だから私には、好意を抱いている。結婚して
いるから一緒にいられるのだ。複雑ではあるけど、これだけ
自分のことを心配して、いろいろ話しをしてくれる友人もそ
うはいない。
そんな彼も、人生の転機を迎えていて、もうすぐ今の仕事を
辞めて東京を離れる。彼の心残りは私のことだけだ、と言っ
た。
ありがたくて嬉しいけれど、哀しい言葉。
また、私を支えてくれる人が遠くへ行ってしまう。

でも、1泊2日、久しぶりに充実した、いい時間を過ごせた。

明日からはまた、戦いの日々が始る。
そう、戦いの日。
負けずに前を見て行こう。埋没しないように。

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